「七五三」という呼び名が全国に広がったのはいつ?国立国会図書館の解説から
七五三は、3歳・5歳・7歳の子どもの成長を祝う通過儀礼として知られています。けれども、「七五三」という呼び名で全国に広く祝うようになったのは、それほど古いことではないようです。国立国会図書館の「本の万華鏡」やNDLイメージバンク、レファレンス協同データベースには、七五三が現在のような形になるまでの流れを紹介する解説があります。その内容を、神社本庁の説明とあわせて順に見ていきます。
各ページの内容は、2026年10月12日に確かめました。
七五三の源流は、公家社会の儀式
本の万華鏡によると、七五三の源流は、おもに公家の社会で行われていた儀式で、3歳の男女児の「髪置」、5歳の男児の「袴着」、7歳の女児の「帯解」などがあるといわれています。NDLイメージバンクの「霜月」の解説では、武家社会でも同じように、髪置を3歳の男女児に、袴着を5歳の男児に、帯解を7歳の女児に行っていたと紹介されています。つまり、もともとは年齢ごとに別々の儀式があり、公家から武家へと受け継がれていったことが分かります。
近世には武家や商人へ、江戸後期には町人へ
本の万華鏡は、近世になると、この儀式が武家や、江戸の裕福な商人のあいだにも広がったと説明しています。そのなかで、子どもの成長を祝って親子で氏神へお参りするという、今日の七五三のもとになる形ができあがりました。NDLイメージバンクは、江戸時代の後期になると町人にも広まり、男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳の年に神社へ参って、子どもの健やかな成長に感謝し祈る行事になったと解説しています。この時代は、すべての年齢を祝うのではなく、男の子と女の子で祝う年が分かれていたことになります。
レファレンス協同データベースの調べも、今日の七五三と呼ばれる儀礼のもとができたのは江戸時代で、当時は武家や有力商人の間で行われ、都市の庶民へ広く行き渡ったのは明治期に入ってからだと紹介しています。
江戸時代から明治時代へ、庶民の祝いに
神社本庁によると、今のように11月15日に七五三を盛大に祝うようになったのは、江戸時代に入ってからです。あわせて、5代将軍の徳川綱吉が、息子の徳松が健やかであるよう盛大に祈願したことが、庶民にも広まるきっかけだったともいわれる、と神社本庁は添えています。本の万華鏡の解説によると、東京の都市に住む庶民にまで広まったのは、明治時代になってからだといわれています。今日のように、子どもに晴着を着せて千歳飴を買う習わしが定着したのも、このころです。
千歳飴の起源には諸説あります
同じ解説は、千歳飴の起源には諸説あるとしています。そのひとつに、元禄・宝永期の浅草の飴売りの七兵衛が、「千年飴」などの名で売り歩いた飴を、寿の字や鶴亀の絵が入った紙袋に詰めて売ると、めでたい縁起物として広く知られるようになった、という話があります。
「七五三」の呼び名が定着したのは、1960年代
国立国会図書館の解説によると、「七五三」という呼び名が定着し、行事が日本各地へ広く行き渡ったのは、第二次世界大戦のあと、1960年代の高度経済成長期に入ってからのことです。地方の都市や農村では、3歳、5歳、7歳の祝いがそれぞれあっても、すべてを祝う風習のないところが多かったと書かれています。江戸(東京)には各地から人が集まり、祝う年齢や性別が異なるさまざまな地域の風習が混ざって、「七五三」という祝い方が生まれ、全国に普及したと考えられています。このため、いまの祝い方が家や地域によって少しずつ違っていても、不思議ではないと読むこともできます。
資料によって説明が違う点
先に挙げたレファレンス協同データベースの調べには、別の資料として、「七五三」という言葉ができたのは明治以降で、商業政策の面から盛大になった、とする記述も紹介されています。本の万華鏡は「定着」した時期を1960年代としているので、呼び名が生まれた時期と、全国に定着した時期は、分けて考える必要がありそうです。11月15日に祝う理由も、資料によって異なります。同じ調べは、旧暦で鬼宿といわれる最吉日にあたるからという説と、徳川綱吉の子の徳松がこの日に祝ったからという俗説を紹介しています。
別の調べには、中国で七五三に相当する行事は見当たらなかったとあり、七五三という数字は、奇数が縁起のよい数字(陽数)とされる中国の考え方に関わりがありそうだと書かれています。このように、由来には複数の説があり、どれか一つだけが正しいと言い切れない部分が残っています。
今の七五三は、無事に育ったことを祝い、感謝する行事
神社本庁は、七五三を、子どもが無事に育ったことを皆で祝う人生儀礼と説明しています。11月15日前後の休日には、神社の社頭が晴れ着姿の親子連れで賑わうとも紹介しています。氏神さまやご先祖さまにお参りして、感謝を伝え、これからの子どもの健やかな成長を祈るよう呼びかけています。
日取りの考え方:お詣りの日と撮影の日
スタジオ華写の七五三のページのよくあるご質問は、七五三の当日は11月15日で、お詣りシーズンは10月から11月後半ごろまでだと説明しています。撮影はお詣りの日とずらすと、子どもの負担が軽くなり、夏の日焼け前の撮影がおすすめだとも案内しています。「後撮り」という方法もあると案内しています。神社本庁の説明にあるとおり、11月15日前後の休日は参拝の親子連れで賑わうので、混み合う日を避けたいご家族には、お詣りと撮影の日を分ける方法も合うかもしれません。
七五三の準備と、撮影の流れ
七五三のページでは、衣裳として和装、ドレス、タキシード、鎧兜(男の子)を用意していると案内しています。帯や髪飾り、草履、バッグなどの小物も用意があるとされています。お詣りの日に着る衣裳のレンタルもあると案内しています。撮影の流れは、予約のあと、カウンセリング、撮影、写真選びと進み、アルバムは写真選びのあと、専門のスタッフがおよそ45日かけて仕上げると案内しています。
まとめ
七五三は、公家社会の儀式を源流とし、近世に武家や江戸の裕福な商人へ、明治時代に東京の庶民へと広まったと説明されています。「七五三」という呼び名が全国に定着したのは、1960年代、高度経済成長期に入ってからだと、国立国会図書館の解説は述べています。
スタジオ華写のご案内
スタジオ華写は、群馬県高崎市の高崎店と、埼玉県さいたま市見沼区の大宮店で、七五三・お宮参り・家族フォトを撮影している写真館です。運営は、有限会社フォー・フィールズです。2店とも、お休みは火曜日と第2・4水曜日で、営業時間は10時から18時、完全予約制です。ご予約の方法は、公式サイトの来店予約のページでご確認ください。同じページでは、撮影のご予約はお電話で受け付け、来店予約のフォームからは受け付けていないと案内されています。



































